昭和54年11月17日 朝の御理解



 御理解 第23節
 「氏子が神と仲ようする信心ぞ。神を恐れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ。」

 神様に近寄るという事はどういう事であろうかと。またそれとは反対に神とは離れる、いわば神から遠ざかる。信心が。いえ神様が有難い事は分かっております。忘れてはおりませんというように申します。それでもやはりやっぱ神様へ疎遠になってまいりますと、もう段々これは離れておるわけです。心にはそう忘れてはおらんと思いよるけれども、神様が段々見えんようになってくる、聞こえんようになってくる。
 それはだんだんこう離れていくと小さく見えるようになったり、もう仕舞いには見えなくなったりするのと同じです。だから神様に近寄るという事は、やっぱり御参拝のおかげを頂くという事だと思います。いやぁ家では拝みよりますと、いう神様では駄目、やはり教会に近寄るようにせよ。教会に近付くようにせよ。まぁそれをここでは日参というふうにこう申します。
 まぁそれがだんだん近寄る事になるわけでしょうけれども。本当の事はやはり信心があのう好きになるという事ね。何とはなしにいつもそばにおりたい、やっぱり自分の気分にあった好きな、好感の持てる人なら出来るだけ、同じ汽車に乗るなら、好いた者同志の方がいいでしょう。気分の合うた者同志がいいでしょう。いわゆる神様と心が通う、信心が好きになる。
 これが私はここに教えておられる神に近寄るようにせよという事は、そういう意味に於て近寄る。いわゆる初めに教えておられますように、神と仲良うする信心ぞと仰っておられるね。何か頼まんならんからお願いしょるから、日参なら日参しよる事はま近寄る事だけれども、頼まんならんからお参りしておる、というのとは大変違うでしょね。この辺のところをひとつ段々分からせて頂きます。
 昨日は日田の竹野さんが親子で、今度の建築の事で相談打ち合わせにおいでられました。79才になられるそうです。もうその神経が細かいというか、チンと言やカンというものをこう、私も一緒に今度のお神様のお部屋、お神様の奉斎のことについてからの打ち合わせでしたから、私も出らせて頂きましたら、秋永先生とこうお話をして、その見事な設計図が出来てきております。
 それにここはあのう竹野さん、こういうふうにした方がいいのじゃないでしょうかと、いうふうに言うて考えられる。うんそりゃそいがいいですね、というふうに言われるです。いわばあのう大概な設計士はですね、いいえそれはこうでなからないけませんと、やっぱりその何と言うですかね、ま玄人のしとる事に素人がその口を出すなと、言わんばかりのようなものが多いですね。
 けれどもそのう、そう考えられてそれが良いと思うたらさぁっと、たぶんそりゃそれがいいでしょうと、言うて段々段々段々お話をしてる間に、まいうならこれはいいアイディアだな、私の気持もピッタリこう合うような話し合いをしてる間に段々段々出来てきたんですけども、とにかくいわゆる80才ですかね、もう79才と言われる。とにかく熱心。であとに話しておられましたが、もう仕事が楽しうてたまらんて。私は午前中と午後は眼鏡をかえてあのうお仕事をしますち言う。
 ほうそげな手がありますね。私共もでも眼が段々悪くなっていくと、成程そういや午前中と午後はやっぱ違います。眼鏡をかえてもうあの細かい、今お宮さんを佐賀と別府に二つ請け負っとられるそうですが、その細かい所の彫刻やら、それを設計やらをもうとにかく、もう夕御飯がすんだらまた夕御飯の後にも、その仕事場に座らせて頂くのが楽しいとこう言われるんです。
 もうあなたはこの年になって息子に譲んなさいと。とてもとてもそげな段じゃない。止めろと言うて止められない。それが楽しいと。学者が眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞいと言うがね。それこそ竹野さんは眼鏡をかけて、しかも昼と午前中と午後は眼鏡を取り替えて、そしてそのなさるという事。なるほど何年か前には天皇陛下から御褒章のあれを受けとられる。
 今年は日田市から、日田市の何か素晴らしいまぁを受けておられます。先日からお礼に出て来られました。もう本当に私はね。自分の仕事に惚れ込むというか、自分の仕事にそれだけ執念が燃やされると。とにかくいうならば仕事をはずされないというわけです。もう全く今日の御理解の、いうならば離れる段じゃない遠ざかる段じゃない。それこそ眼鏡を、眼がショボショボとしてから見えんごとなったけん、も午後から休もうといったようなもんじゃない。
 それこそ眼鏡を取り替えてまた仕事に励まれるという。仕事というものは、もう自分の身に付いてしまったもの。それが楽しゅうして「楽しいですがねえ」と言われました。80になる大工さんが第一線に立って仕事をするです。もう聞いた事がない。それこそ年を取っても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞい、という全くその通りなんです。私はね、本当に神と仲良うする信心というのは、段々神様と私とが、そういう事になってこなければいけないと思うです。
 神を怖れるようにしてはならぬ、というのは、神様参りがじゅつのうなる、というような事につながると私は思うです。世間ではよく申します。「障らぬ神に祟りなし」と、これは全く神様を怖れておるわけです。教祖の神様の素晴らしいのは、そういう神様の様々な神様がおられる中にも、特に金神様と言うのはあらたかなかわりに,一つ間違えば命にかかわる。知って向かえば命をとる、知らずに向かうても眼を取るという程しの、まぁいうなら荒ぶる神様と定評があった金神様ですね。
 今でもやっぱ金神よけという事を致しますのも、神様を怖れておる生き方なんです。教祖様はそこん所を、例えば他所の家にちょっと荷物を預ける時でも、すみませんがちょっとこれを預けさして下さいと言やぁ、それをはあどうぞと中にも入れて、またそれを監督するというわけですね。けど黙って置くからこれは誰がつじゃか、黙ってここに置いてと言うてその、ま言われるようなもんだ、というふうに教祖様はおっしゃっとられますね。断わりをおいてすればそれを守ってやる。
 いうならば当時のんなら金神信仰の場合は全くそうでした。この方角はいけないとか良いとかと。黙ってそこになら家を建てたりするから、まいけんのだというふうに言われる。断わりをおいてすりゃそれは守ってやるとこういう。まぁそういうところから段々金神様へ向かわれる姿勢も、段々と変わってこられてね、いわゆる考え方も変わってこられて。知って向かえば命を取り、知らずに向かっても眼を取るという程しの、あらたかな力を持ってござる神様なら。
 こちらがだから実意を持って願い頼めば、ない命でも助けて下さるだろう、ない眼でも与えて下さる神様に違いはないと気付かれたと。そこが素晴らしいところですね。ですから実意の限りを尽くして、いわば金神様を立て抜かれたわけ。この家を扱うならばこの家に住まってはならない事になって、いかんからそれを一応納屋の方へ住まいを変えられて、人間が住んでおらん事にして、普請にかかっておられると言った様な手の込んだ実意さを見せておられますね。
 もう兎に角いうならば、いろいろな難儀災難と言った様な事でも、これは人間氏子が行き届かないからの事であって、どこにお粗末御無礼があるやら分からん。どうぞ神様お向きを変えて下され、お向きを変えて下されというふうにして、神様に接近して行かれた。そしてその神様が段々向きを変えて来られたところが、いわゆる天地金乃神という、いうなら神様にいうなら変えられた。廻れ右をなさった。
 うら恐ろしい神様のようであったけれども、実際向きを変えてもろうたら、それこそ慈顔溢れんばかりの神様であって、一切が神愛。どうぞ氏子信心しておかげを受けてくれよと、手をついて頼まんばかりに思うておられ、言うておられる神様だと、いう事が分かってきた。もういよいよその神様と不離のもの、神様も教祖金光大神に御信任、いわゆる生神金光大神という御神号を送られたり。この方あって天地金乃神の、おかげが受けられるようになった。
 氏子からも神からも両方からの恩人は、この方金光大神である、というふうにもいよいよ持っていうならば合楽の世界が開けてきた。神様と氏子のね。神様と金光大神の中に、そういう世界が開けてきた。それを金光教と言うのです。ですから合楽に御縁を頂いておる方達がです、いうならば合楽という地名ではなくて、神様と合楽し合えれる仲。それにはどういう事があっても、これはまだ信心が足りんのだと接近に接近をした。
 近付くに近付かせて頂いてまいりますと。いうならば神様からの御信用も篤くなる。神様を信ずる力も強くなる。そこから信じ信じられる仲がうまれる。そしてそこからいうならばもうそれこそ、神様と一体になる様な働き。神様と仲良うする信心。そこから合楽の世界それを、合楽世界というのであり、そこから生みなされてくるおかげが、限りないおかげという事になるのです。
 神様が好きになる手立て。も何処までも実意の限りを尽くして、神様にどんな場合であっても、これは信心がまだ足りんのだという生き方を身に、いよいよ付けていく以外にはないのです。離れろと言うても離れられない。もう80にもなんなさって、もう隠居なさったっちゃええ、いいですとよ言うても、いいやぁもうとにかく手足の動く限り、いうならば眼の見える限りは。
 それこそ日に二回も眼鏡を変えてからでも、そしてしかもそれが生活の為とか。せなんからするのじゃなくて、楽しいですがねえとこう言われる、竹野さん成程よい仕事が出来られる筈だ、というふうに思います。神を怖れるようにすると、怖れると。神様からいうならば離れるという事ではなくて近寄るようにする、という今日はその近寄る手立てを聞いて頂きました。
   どうぞ。